magnolia~日々是好日

雑記帳。日々のできごと。思いつくままに。 本館『magnolia』の日記代わり。

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「いただきます」 何を「いただいて」いるのか?

いつも、何かを考えさせられるきっかけであるtakoさんのブログでこんな記事を見た。
「『いただきます』って言ってますか?」について考える

きっかけは、永六輔さんのラジオ番組に届いた手紙。
考:「いただきます」って言ってますか? 「給食や外食では不要」ラジオで大論争

わたしは「いただきます」「ごちそうさま」って、普通に言います。
小学校の頃は、給食の時間にみんなで手を合わせて「いただきま~す」って言ってたけど、それが「宗教的な行為」とは思えません。
(「南無阿弥陀仏」って言わされるなら、宗教的でしょうけど)

「いただきます」とは、なにを「いただいている」んでしょうか?
これは「命」を「いただいている」んじゃないでしょうか?
肉、魚に限らず、穀物や野菜、果物も全部「命」ですよね。
その「命」を食べないと人間は生きていけないのです。

最近の子は命を粗末にする、とか
ゲーム感覚でリセットすれば生き返ると思っている、とか
いろんな信じられないような話も聞きますが、「いただきます」は「お金」に対して言う言葉だと思っている親に育てられていると思うと、何も子供だけが悪いわけじゃないと感じます。


と、綺麗事を書きましたが
実はわたし自身「いただきます」という言葉を、毎日毎日「命に感謝して」言っているわけではありません。

これは「おはよう」「おやすみなさい」「いってきます」「ただいま」などと同じ、挨拶だと思っています。
同じテーブルに付いた人同士で「これから食べますよ」「一緒に食べ始めましょう」みたいな感覚で言っています。

その中の一人が「わたしはお金を払ってるんだから、いただきますなんて言わないわよ」と言ったら、ちょっとひきます。
この人とは友達付き合いは出来ないなあ、感じます。
言う、言わないはその人の自由ですが、その理由が「お金を払っているから」と言うのが嫌なのです。

その人の品性が下劣に感じるんですね。
お金は必要なものだけど、何でもかんでもお金を尺度にして、言葉まで「お金を払ってるかどうか」で言ったり言わなかったりするのという考えは、理解できません。

日本人の美しいマナーなのだから「いただきます」「ごちそうさま」くらい、言っても減るもんじゃなし、と思います。

「手を合わせる行為が宗教的だ」と思う人がいるなら、手は合わせなくてもいいと思うし、教室でいっせいに声をそろえて言わなくても、各々が食べる前に言えばいいし。

大勢でテーブルについて一緒に食べるのに、黙々とバラバラに食べ始めるよりは、お互いに「いただきます」と一言言ってから食べ始めるのが自然な感じがします。

なので、わたしは、一人でラーメン作って食べるような時には「いただきます」は言ってません。
でも、夫と食べる時は必ず「いただきます」「ごちそうさま」って言います。
例えインスタントラーメンでも(^^)
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  1. 2006/01/28(土)|
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  5. コメント:10
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コメント

「命」の分け前

 そりゃまた、たまたま偶然、そのラジオを聴いていた北海道の民です。
 こんにちわ。

 大論争になったのかあ・・・あれが・・・
 深く考えればキリがないけど、言霊ってあるじゃないですか。
 
 (あなたの「いのち」を)いただきます。
 (あなたの「作ってくれた気持ち」を)いただきます。

 感謝の言霊ですよね。
  1. 2006/01/28(土) 15:07:34 |
  2. URL |
  3. フクフク丸
  4. [ 編集]

理由が「給食費を払っているのだから」というところが、リスナーの皆さんにも何やら引っかかったのかもしれませんね。

子供を育てて躾をするうえで「お金を払った時は、いただきますと言わなくてもいいのよ」と言うのでしょうか?

「命」をいただいているという感覚は、普段あまり無いと思います。
肉も魚もスーパーで切り身で売っていますし、野菜を育てることも少ないですし。

「感謝の心」を持ち続けるのは大変ですが、一緒にいる人たちが気持ちよくいられるマナーと思えば、簡単なことではないか。と思うのですがね。
  1. 2006/01/28(土) 17:02:19 |
  2. URL |
  3. 木蓮
  4. [ 編集]

木蓮さん、こんにちは。
リンクとTBありがとうございました♪

私も毎回「ありがたい」と思って食事しているわけではないんですよね。
なので、そういう観点からあのお母さんを責める資格はないなあ、でも何か違うなあ、という気持ちを書いてみたらあんな感じの内容になりました。

でもホントに本気でこんなことを考えているとしたらさぞ生き難いのではないか…と人ごとながら心配してしまいます。
それと私はこのお母さんよりもレストランで隣に座っただけなのに文句を言ってくるオバサンのほうが人物として嫌いです。
それこそ余計なお世話ですよね(笑)
  1. 2006/01/28(土) 19:52:10 |
  2. URL |
  3. tako
  4. [ 編集]

「その人の品性が下劣に感じる」というところ、同感です。
私は一人暮らしで、一人で食事をとる頻度が高いのですが、つい忘れちゃった時以外は、一応「いただきます」と言って軽く手を合わせます。
それは宗教的な行為かもしれませんが、むしろ、人間として、そのくらいの宗教性は必要なのではないかと思うのです。
「いただきます」と手を合わせる時、それは単なる習慣になってしまっている面もありますが、基本的には、感謝の気持ちを形にする、という考えでやっているつもりではあります。
食べ物となってくれた動物や植物たちへの感謝、それを育ててくれた人、収穫してくれた人、あるいは、運んでくれた人、スーパーの棚に並べてくれた人、などなど、感謝すべき対象は限りがありません。
その全てにいちいち思いを馳せるわけでもないのですが、そうした感謝の思いは忘れてはならないと思うし、子供たちにも教えてあげるべき考え方ではないかと思います。
  1. 2006/01/29(日) 04:21:02 |
  2. URL |
  3. ちょいハピ
  4. [ 編集]

> takoさん

わたしも、毎回「いのち」のことを考えて食事をしているわけではありませんが、ビュッフェレストランで無駄に食べ残したり、食べ物を粗末に扱う人を見ると、ちょっと悲しくはなります。

「いただきます」という、たったそれだけの言葉がどうして言いたくないのかな?
それは、マナーである。と、わたしは親に躾けられてきたし、同じテーブルに小さな子がいたら一緒に言うように促します。

そのお母さんの「言わせたくない理由」と言うのが、なんとも納得しがたいものなのですが、そういう考えの人って増えているのかもしれません。
そうして、自分では気づかずとも、takoさんのおっしゃるように「生き難い」毎日を送っているかもしれませんね。
  1. 2006/01/29(日) 17:30:19 |
  2. URL |
  3. 木蓮
  4. [ 編集]

> ちょいハピさん

素晴らしいですね。
わたし自身は、毎日の食事の前に「いただきます」と言うことは、マナーとしての行為で、本来の「頂く」という意味は無くなり、形骸化しています。

それでも「金を払ってるんだから、言いたくない」などと思った事は一度も無く(そもそも、なぜこの言葉にお金が係わってくるのか、さっぱりわからないのですが(^。^;)「食べる前には『いただきます』と言うのが当たり前だろう。食べ終わったら『ごちそうさま』だ。例えそれがご馳走でなくとも」と言った考えです。

「いのちを頂く」ということは、詳しく考え出すと、それこそ何も食べられなくなるので、今目の前にある食材のことだけを考えて、これを無駄にせずおいしく頂こうと思っています。

そういう「いただきます」でも、いいですよね?
  1. 2006/01/29(日) 17:39:17 |
  2. URL |
  3. 木蓮
  4. [ 編集]

本当に、お金を払っているかいないかということと、どう関係があるのか?と私も思います。
こちらの記事に触発されて、もう少しいろいろ書きたくなり、自分のブログでも、この話題に関連した記事を書いてみました。
TBを張らせて頂いたのですが、よろしかったでしょうか?
ご迷惑でしたら、構いませんので削除して下さいね。
  1. 2006/01/30(月) 04:50:04 |
  2. URL |
  3. ちょいハピ
  4. [ 編集]

takoさんも「人間関係の中で、そういった言葉をケチるのはかえって損ではないか?」として、ちょいハピさんと同じような例を出されていました。
takoさんの記事では「サービス」を比較されていましたが、ちょいハピさんの病院の例えもよくわかります。

最近「金銭的なお礼」はお断りしている病院が多いと思うのですが、やはり今でも、入院や手術を受ける際お医者さんや看護婦さんに某かの「御礼」としていくらか包もう。と言う話しは時々聞きます。
でも、そういう「御礼」で看護の質を変えるお医者さんや看護婦さんって、かえって嫌だなあと思うのです。

「御礼」といえば「金銭」とすぐ考えてしまう。
「金銭」を与えているのだから、より多くのサービスを受けて当たり前なんだとふんぞり返ってしまう、というのも何だか厭らしいですよね。

この点については、また思うところがあるので、別に記事を書きたいと思います。
ありがとうございました。
逆TBを飛ばしておきますね。
  1. 2006/01/30(月) 07:56:03 |
  2. URL |
  3. 木蓮
  4. [ 編集]

横レスですが...

今PHP新書の「上品な人 下品な人」と言う本(著者:山 武也)を読んでます。
どうしても好きになれない人、知人などで、いつもどういうわけか気疲れする人の行動を、この著者の本のエピソードに合せて解釈していくと、なるほど、と納得できます。
誰かに対してそう思う、ということは、自分も誰かから同じように思われている部分がある、と言うことでもあり、他山の石にするにはいい本かもしれません。
  1. 2006/02/01(水) 15:35:59 |
  2. URL |
  3. 葉桜
  4. [ 編集]

> 誰かに対してそう思う、ということは、自分も誰かから同じように思われている部分がある

そうなんですか。
自分には無い部分、理解できない部分であるから「嫌」に感じるのではないかと思っていました。

人の振り見て、我が振り直せ。ですね。
  1. 2006/02/05(日) 11:38:40 |
  2. URL |
  3. 木蓮
  4. [ 編集]

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人柄のよしあしは、感謝の度合いに比例する。

このブログにも時々コメントを寄せて下さる木蓮さんという方のブログ(「magnolia~日々是好日」というブログです。このブログの画面の右下にある「LINKS」から飛んでいけるので、みなさまもぜひお訪ね下さいませ。)の記事を読んでいて、思うところがあったので、きょ
  1. 2006/01/30(月) 04:36:51 |
  2. 小さなことを喜ぼう!             ~女40歳の「ちょいハピ」な日々~
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